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誌上個展

<日本航空史>
押しかけ自衛隊機 デハビランドDH115 バンパイアT.Mk.11

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 英国機特集に合わせて、今回は自衛隊機になったバンパイア練習機を選んでみた。
バンパイアは練習機として広範囲に使われた機体だけれども、原型はジェット機の黎明期といってもいい第二次大戦中に作られている。初飛行は1943年9月だとか。でも、そのことだけならば航空自衛隊でたくさん使われたT-33も元となったF-80原型の初飛行は1944年1月だから同じではある。
バンパイア・トレーナーはデハビランドが夜間戦闘機型から作った自主開発機種で、昭和31(1956)年1月に1機だけ輸入された。このときすでに自衛隊はT-33の導入だけでなく国産のT-1開発も進んでいて、後退翼をもった外観がまとまっている。そのタイミングで何の参考に購入したのだろうか。関係を深めていた米国とは系統が違うから、どうみても勝ち目はない。「いろいろ検討しています」という見せかけとか、並列複座ってこんなモノか、という以外に役立つことがあったのだろうか。米国で並列複座の中間ジェット練習機セスナT-37が量産に入るころでもあるし、並列複座の再検討も分からないでもないが。



  で、どうなったのかというと『航空情報 世界航空機年鑑 1958』には「T1F1のためのデータをとっている」とあるのだが、『航空情報 写真集 自衛隊の航空機』(昭和44年)には、「アメリカ式装備万能の当時としてはまったく問題にされず、飛行テストさえ十分には行なわれぬまま見すてられ、教材機とされてしまった」とある。根拠はないが、私には後者がホントのように思う。結果、いわゆる「押しかけ自衛隊機」の一翼をになう機体となった。



そんな不遇なバンパイア・トレーナーだが、エアフィックスが1/72で発売したことで一気に我国のプラモデルの世界で人気がでた。“これを待っていたんです”と、日本全国で何機も完成したのではないだろうか。私もすぐに作り、本Web誌2013年5月号へ投稿させていただいた。
 実機は浜松広報館に展示してあったが、今はまた倉庫に入れたようだ。写真は展示していたときに撮ったものだが、ネガの保存が悪くて劣化してしまった。お許しを。



 オマケは自衛隊でも使っているU-125。この飛行機の生まれを遡ると英国のデハビランド。当初、運航費はダブ(Webモデラーズ先月号参照!)並みを構想したらしい。プラモデルではエアフィックスがドミニという名前で1/72キットを発売していた。先日に自分の在庫を調べていたら、1個持っていた。マッチボックスも製品化したような気がする(…違うかな?)ので、もしかしたらこれも持っているかも。


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