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誌上個展

<日本航空史> ジェット戦闘機「月光」

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 WWⅡドイツ末期のような架空機ではない。ちゃんと配備されている。知っている人には何でもないことだが、「月光」は自衛隊のF-86Dの和名、つまり愛称だ。F-104「栄光」、T-33「若鷹」は、知っている人も多いだろう。自衛隊機の愛称は、当時に現用だった機体を昭和39年(1964年)1月8日に発表したもの。名前は公募で、ジェット機には天体気象または架空の動物という基準が設けられたという。『航空ファン』1964年3月号には「なかには“月光”などという昔なつかしい名前がある」と書いてある。
 私は、F-86Dの印象が薄い。原因は、子どものころの入間基地航空祭に行っても飛行場にはなく、F-86Dは線路際の空き地に用廃機がいつものように並んでいるだけが多かったからだと思う。米軍から供与された約100機に加え、さらに部品取り用に24機があったというのだから、最初から部品の共食いが前提だ。最後には飛行できる機体が3分の1ほどになり、昭和43年(1968年)に全機除籍されていたという。線路際にあった用廃機は、食われる側の1機だったのだろうか。



 私にとってのF-86Dは、実機よりも、マルサン1/50キットの方がはるかに高い位置にある。当時から凄いキットらしいとは知っていたが、1個100円のレベル・ファイターシリーズやLSのゼロ戦を買っていた身の上で、高価なキットなど買えるはずもない。目の前にあっても買えないが、買っても作れる自信がない羨望のキットだった。
『航空ファン』1966年8月号の愛読者交歓室「超音クラブ」に、このキットの設計者である橋本喜久男氏が投稿者にこたえた文が載っている。
「筆者も沈頭鋲であるべきだと考えますが、実機の鋲と外皮とのすき間の凹を0.5ミリとして両者は同一平面としますと、この0.5ミリの50分の1または100分の1?は加工できるとお考えですか?また、凸鋲よりも凹の鋲がよいと考えても、(中略)実機にあてはめると1センチ近くの丸い溝の集団が翼の表面にあることになります。」「人の気付かない部分をそっと修正し、無言でデモルのがプラモ・マニアの喜びではないでしょうか」。
 イイことを言うな、と思ってしまう。ついつい「どこどこを削って」とか書いてしまう自分が恥ずかしい(が、これからも書く)。


F86D 絵葉書から

 なお、どこかで読んだのだが、マルサンの1/50 F-86D は、機首下面にあるロケットパッケージのロケット弾装備数が実機よりも少ない、つまり蜂の巣みたいな穴の数が少ないのだそうだ。橋本氏によると当時の金型上の限界だったとかで、鑑賞には支障がないと説明していた。実機は、ロケット弾24発を6発・12発・24発の発射にセット出来るそうで、作動から3.3秒後に自動的に胴体へ引き込まれる(「作動」ってどの瞬間?)。F-86Dの火器管制装置が不調だったとはよく書かれているが、量産中にはそれを搭載できない機体が300機以上に達したそうだ。数万箇所に及ぶハンダ付けや不安定な真空管が整備を困難にしていたらしい。詳しいことは『航空ファン』1969年12月号「超音速戦闘機への長い道Ⅱ F-86D全天候迎撃戦闘機[第3回]」を参照されたい。 


F86-D 浜松広報館の展示機

  マルサンの1/50キットは後に他社へ流れた。私は、エースだったかサニーだったかのブランドで、2つ持っている。それにも関わらず、1年くらい前に航空自衛隊の大判デカールがついているアカデミーの1/48キットを購入してしまった。このキットの金型はレベルで販売されていたモノと同じらしい。「これを組めば、余ったデカールで旧マルサンが作れるナ」と妄想しているが、アカデミーの後に旧マルサンを作る意欲があるかどうかは、ちょっと分からない。


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