Home  > <日本航空史> B-50>コラム>2023年12月号 

誌上個展

<日本航空史> B-50

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 何度も書いたことだが、私は横田基地への離着陸ルートのほぼ下に住んでいる。小学校に行くか行かないかくらいのころ、主翼も胴体も長細い、B-29みたいな飛行機がよく飛んでいた。どこで知ったのか、あれはB-50かなァ、と思っていた。B-50であることを確かめようと祖母にB-29の大きさをたずねると、「もっと大きかった」と言った。驚異的なものは、心に大きく残るのだろう。そうかなァ、同じじゃないかなァと思ったものの、それ以上ではなかった。



 B-50はB-29の強化型だから、ほぼ同じ飛行機だ。大型ジェット機の基本形を創出したB-47よりも番号が大きいのが馴染めないが、製造を続けるために新型であるかのように装ったともいうし、それだけジェット爆撃機の成功が怪しかったのかもしれない。『航空ファン』1968年7月号の「定年を延長した傑作機たち22 ボーイングB-50スーパーフォートレス」には、戦後のアメリカの初の大型爆撃機で、設計的には1940年のB-29をそのまま大型高性能化しただけのもの、とある。大型といっても、見かけはエンジンのパワーアップとナセルの変更、高くなった垂直尾翼を感じるくらいで、まあB-29の後期型にすぎない。



  私が見たB-50は、飛んでいる姿だけだ。記憶にあるB-50は主翼端に大きなタンクをつけていてジェットエンジンも付加してあったので、下からみると賑やかだった。故に本記事の表題は「KB・・・」の方が妥当かもしれないが、空中給油型にKが付くなんて子供のころは知らなかった。
 時代を考えれば、ベトナム戦争のころになる。日本の空はベトナムと繋がっていたのだ。私が自分で横田基地のオープンハウスに行けるようになった頃には、もうそこにB-50は駐機していなかった。



 B-50を見たのは半世紀以上まえのことなのだが、充分に大人になってからもずっとその大きさが気になっていた。「もっと大きかった」と言った祖母の言葉の記憶があるし、自分だって驚異的なものは心に大きく残るのだろうと思っているからだ。でも、なんとなくだが、毎日見ているC-130くらいだろうと考えていた。これは理屈でそう判断したという方が正しい。どちらが正しいのか調べてみたら自衛隊も使うH型はほぼ同じ大きさで、C-130の胴体が太い分だけ幅が広い程度だ。“だいたい同じ大きさか”と、あらためて思った。
掲載写真は最近に入手したもので空中給油型である。私にはB-29にしか見えないが。



  ※オマケ
「ゴジラ-1.0」に震電が登場した。この<日本航空史>は、私がその飛行機の「何か」を持っていることを条件に課しているのだが、そうなると震電はいつになるか分からない。そこでオマケで、震電のアンテナのことを載せておく。

<震電のアンテナ>
 震電の図面を見ると、機首下面と胴体中央付近の下面にアンテナ支柱があり、その間に空中線を張って描いてある。テスト飛行時は確かにそのようだったらしい。だが『航空ファン』1965年6月号の記事には、「無線送受信器は右翼の中にあり」「そのアンテナは、主翼々端から前翼に張られ」とある。そうなると支柱はいらないので、米軍に引き渡し前の原型機の姿とも一致する。アンテナ柱がおよぼす影響だが、百式司偵の場合、「アンテナ柱を切ると10km得して、主翼へ張るから5kmマイナス。ですからプラス5kmですね」とある(『同』1977年4月号)。そうなると、高速をめざす震電にアンテナ柱2本はむしろ不自然だろう。 


  Home  ><日本航空史> B-50>コラム>2023年12月号  

Vol.184 2023 December.   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved / editor Hiromichi Taguchi
                  田口博通 / 無断転載を禁ず/  リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作記事


TOTAL PAGE