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(Photo) Udet U10 & U12

by  コルディッツ
博物館実機写真
 ドイツ帝国陸軍航空隊の戦闘機パイロットで、62機を撃墜し、ドイツ第2位のエースとなったエルンスト・ウーデットは、1921年にウーデット航空機製作所をミュンヘン近郊のラーマスドルフに設立して、スポーツ機の製造を始めます。最初に1機だけ作られたのがU1低翼単葉機で、搭載するHaacke HMF-2水平対向エンジンが30hpと非力で単座でした。U1のエンジンを35hpに増強し、複座にしたのがU2で、4機製造されます。その後はジーメンス・ウント・ハルスケ星型エンジン(55hp)に換装したU4が1機作られ、そこからU6、U10と発展し、U10は11機作られ、ウーデット社開発の低馬力単葉スポーツ機シリーズは、取り敢えず成功しました。
※ 本稿は博物館の標示と「続・飛べヒコーキ」(光人社)、
Wikipediaを参照しました。

   Udet U10  D-452 (Replica ?)
 ドイツ技術博物館(ベルリン)にて      2023年9月撮影  


 U1、U2、U4、U6、U10シリーズの中で、唯一現存しているのは、
一説にはレプリカとされる、写真のU10 D-452 だけのようです。


 U10は翼幅を、それまでの8.90mから10.60mに延長しています。
 エンジンはジーメンス・ウント・ハルスケ Sh4 5気筒星型で、
55hpです。




   ウーデット社の経営状態は悪く、後に成功作になるU12が初飛行
したのは1925年でしたが、翌1926年にドイツ交通省、バイエルン
州政府、民間資本の資本投入を受けて、バイエルン飛行機会社ー
BFWとなり、ウーデットは社長を退きます。このBFW社が1927年に
メッサーシュミット社と合併をします。






 Udet U12 Flamingo D-EOSM/D-1202 (Replica)
 ドイツ博物館航空機分館(オーバーシュライスハイム)にて


   2011年5月に撮影しました。本機は飛行可能なレプリカですが、
2013年のドイツ国内での航空ショーで、墜落したとの事です。


 展示機はジーメンス・ウント・ハルスケ Sh4 5気筒星型 55hp
の搭載ですが、実機は強力なジーメンス・ウント・ハルスケ Sh11
7気筒星型 80hpを搭載していました。



 設計者はU1と同じくハンス・ヘンリー・ヘルマン(Hans Henry
Herrmann)。ウーデット社開発の最初の複葉機で、木製羽布貼りの
複座練習機で、愛称は「フラミンゴ」。BFW社になってから150機
生産され、本博物館のあるシュライスハイムにあったドイツ輸送
飛行学校の教材として、ドイツ空軍パイロット養成に貢献します。
またオーストリアやハンガリー、ラトビアでライセンス生産され、
総生産数は300機に昇ります。



 1930年に公開された監督アーノルド・ファンク、主演レニ・
リーフェンシュタールと山岳映画「ピッツ・パリュの白地獄」、
邦題は「死の銀嶺」では、ウーデットが操縦するU12(D-822)が
救出機として登場します。私は未見ですが、1930年に本郷でこの
映画を見た故佐貫亦男教授は「サンモリッツの凍った湖から離陸
した機体がなんであったかは、当時からよくわからなかったが、
すばらしく操縦性がよいことだけは記憶に残った。パイロットが
パイロットだから、ピッツ・パリュの有名な蒼氷の北壁をなめる
ようにして飛ぶところは圧倒的な場面であった」と記しています。



 短命に終わったウーデット社でしたが、U12フラミンゴという
ヒット作を世に送り出したことで、忘れられない飛行機会社です。




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