「実機解説」
太平洋戦争半ばの昭和18年初め陸軍より高高度戦闘機の開発の指示を受けた立川飛行機はそれまで中島の一式戦「隼」の転換生産を行っていたが飛行機メーカーの夢である「自社開発」の戦闘機を作る好機と捉え胴体の前後にエンジンを積み二本の細いビームで水平尾翼を支持するオランダの「フオッカーD23戦闘機」に似たユニークな形状の戦闘機「キー94」の試作を行い18年末完成したモックアップ(木型)の審査を受けたが、不時着した時にパイロットがエンジンに押しつぶされるとか落下傘脱出の際プロペラに叩かれて危険などの意見が出されたのと設計側でもこのエンジン配置では排気ガスタービンの搭載が無理と解ったので「キー94Ⅰ」計画は中止となった。
計画中止後陸軍は代案の開発を命じ昭和19年5月に標準的な単発単胴の機体になった「キー94Ⅱ」の設計試作が開始された。
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当初開発時間の短縮のために4式戦「疾風」の設計を流用するよう陸軍から指示されたが立川の技師たちが検討した結果4式戦の設計流用では目標の性能が出せないと判明し独自の設計で進めることにした。
外見は4式戦に似ているが戦闘機としては初めて層流翼を採用し、最大の特徴である排気タービンは胴体の下面に搭載された(ライバルのP-47も同じ胴体下に搭載)
さらに立川飛行機が以前より開発していた気密室を設け高高度でのパイロットの肉体的負担を軽減するなど本格的な高高度戦闘機として開発が進められていたが初飛行を迎える直前の昭和20年8月15日玉音放送と共に敗戦が決まり大空へ飛び立つチャンスを奪われた。
完成されていればB-29に対抗できる唯一の高高度戦闘機として陸軍より多大な期待を抱えられていただけに初飛行直前で敗戦は何とも惜しい機体である。
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