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誌上個展

BENTLEY 4.5L BLOWER (エレール 1/24) 

by 田口博通 Hiromichi taguchi

 Vintage garageは創世記から1970年代までのビンテージレースカーとビンテージクラシックカーの連載コーナーです。クラシックな姿の中に優雅さと繊細さを内包した彼女達にしびれる方々も多いはず。 
 ビンテージ・ガレージは ビンテージカープラモデルの製作だけでなく、その独特の魅力を醸し出すビンテージカーが背景に持つエピソードにもスポットをあてています。 
どうぞあわせてお楽しみ下さい。

 第5回で登場するのは 無骨なスタイルが魅力のBENTLEY 4.5L BLOWER です。
エレールの1/24キットはイギリス的雰囲気をそのままに再現しています。

 日本でこのBENTLEY 4.5L BLOWERというダンプカーをそのままオープンスポーツカーにしたような無骨な車がモデラーの間で有名になったのは、モデルアート1981年1月号でジェラルド・A・ウイングローブのフルスクラッチ1/15 スケールの素晴らしい作品が紹介された時だったでしょうか。究極のCARモデルの姿がそこにありました。芸術品のようなその精緻な出来上がりと、おそらく数百万円に達するであろう その価格に皆驚きました。




ベントレーとグランドツアラーについて
  ベントレー(Bentley)は、イギリスの高級車・スポーツカーメーカー、ブランドである。
 ベントレー・モーターズはWalter Owen Bentley により、自身の名を冠するクルマを作るという夢の実現に向けて 、1919年8月、ロンドンのクリックルウッドに設立された。
 Bentley は第一次大戦前からエンジンの耐久性を上げるため、アルミと銅合金のピストンを開発していて 第一次世界中は航空エンジンに応用され、高い評価を受け、幅広く使用されていた。 自動車の黎明期であるvintage car 時代に、Bentleyが目指したのは 広いヨーロッパ大陸中を縦横無尽に高速で巡航できるグランドツアラーだった。
 
このグランドツアラーという発想は いかにもイギリス人らしく、ベントレーが当時のブガッティやアルファロメオのような優雅で軽快なスタイルでないのはそのためだ。エットーレ・ブガッティが ベントレーの無骨さから「世界最速のトラック」と揶揄したのは、見事な表現ともいえる。

 ちなみに グランドツアー(Grand Tour)とは、18世紀以降流行したイギリスの裕福な貴族の子弟が、その学業の終了時に行った伝統的な大規模な国外旅行である。ことに古典的教養の修得のために行われたヨーロッパ大陸への旅行のことを指し、期間は数か月からときに数年間に及んだ。




  目的地はパリなど主要都市や名所旧跡であったが,当時の文化的な先進国であったフランス、ウイーン、イタリアが主な最終目的地で、今でいう一種の卒業旅行ともいえる。
 とはいっても 19世紀初頭から20世紀にかけては、英仏(ナポレオン)戦争、プロイセンオーストリア戦争、普仏戦争、第一次世界大戦などがあり、旅行という概念が、平和な時期をかいくぐってのおおよそ数か月から数年の冒険旅行でもあったというのがヨーロッパの人たちにとって普通だった時代のものである。
  本来、グランドツアラー(イタリア語グランツーリスモ GT)は 「長距離旅行に適した馬車」という意味合いだったのだ。
 それが発展して グランドツアラーは長距離ドライブに適するハイパフォーマンスでラグジュアリー性の高い自動車として設定された車種という位置づけとなった。
 
 以後、欧州の自動車レースの歴史の中で、過激な性能競争を避けるため、グランドツアラーが一般の箱型高性能ロードカーベースをレギュレーションとしたものとの意味合いになり、現在では GTとはすぐれた走行性能を持つロードカーというコンセプトになったのは興味深い。  




BENTLEY 4.5L BLOWER 実車について
 ベントレーは第一次大戦終結後、望み通り、その高性能エンジン技術を武器に知名度を上げるために 耐久レースで活躍した。  ル・マン24時間レースは第一次大戦後の1923年に第1回が開始されたが、ベントレー3リットルで参戦したジョン・ダフは4位に入賞し、翌年の第2回には優勝している。ベントレーチームは1924年~1930年にル・マン24時間レースで5回の優勝を重ねるなど 常勝チームとなり不動の名声を獲得した。    グランドツアーといえば、吉田首相の側近として戦後処理での活躍で有名になった白洲次郎も英国留学中の1924年5月、ジョン・ダフの世話でベントレー3Lを購入し、学友である7代目ストラフォード伯爵ロバート・セシル・ビングと1925年 ジブラルタルまでのヨーロッパ大陸を旅行している。
 



 3リットルに代わるスポーツモデルとして開発されたのが6気筒4.5リッターモデルである。車体は、高級コーチメーカーのヴァンデンプラ,ハリソン、H.J.マリナー等による4人乗りのオープンツアラー(2列シートの幌タイプ)だった。後席は荷物トランクとしても使え、胴体後部には巨大なガソリンタンクを搭載している。1927年から1931年まで665台が生産されている。

 ルマン仕様の性能はノーマルで110馬力、最高速160kmに達した。ルマン24時間レースでは、1928年にヘンリー・バーキン卿が優勝、1930年に2~4位入賞という戦績を残している。
 

 翌1929年にヘンリー・バーキン卿がさらに出力を上げるためにルーツ式スーパーチャージャーを装着し、240馬力にパワーアップさせたのが、エレールの1/24モデルとなっている“ブロワーベントレー”である。エンジンの前方に見えるブロックがブロワーつまりスーパーチャージャーだ。

 残念ながらル・マンではラップレコードを更新しただけで、1929年のルマンで優勝したのはスピードシックスと呼ばれた6.5Lモデルのレース仕様車だった。
 ちなみに日本のトヨタ博物館にもベントレー4.5Lが一台展示されているが、それは1930年12月に製造されたモデルで、1972年にルマン出場車仕様を模して改造されたものである。 



 

 ベントレー・ファクトリーチームのドライバーは 敬意をもってベントレー・ボーイズと呼ばれ、多くが大富豪の子息だった。ベントレーは高性能スポーツカーメーカーとして世界の富裕層に好んで使用された。  しかし、1920年代後半は大恐慌で購買層である富裕層も大打撃を受けたため、ベントレーも経営不振に陥り、1931年にロールス・ロイスに買収され、レース活動からは撤退している。

キットについて

 BENTLEY 4.5L BLOWERの1/24 プラモデルはエレールから発売されているキットが唯一だ。このキットは車高の高い無骨なスタイルと、内臓するエンジン、シャーシーフレームまで再現した素晴らしいキットとなっている。
 日本ではユニオンから日本版が売られていた時期もあったが、ユニオンがプラモデルから撤退したこともあり、最近では、エレールブランドでの直接輸入品が模型店で売られているようだ。
 キットはグリーンの柔らかめのプラスチックでモールドされていて、メッキ部品のグリル、透明部品などで構成されている。
1930年のルマンに出場したNo.8のデカールが付属している 。

箱絵
 

製作

エンジンとシャーシーフレーム
 エンジンの部品は右の写真のようにエンジン本体とブロワー部分から構成されている。

エンジン本体


ブロワー(スーパーチャージャー)


 シャーシーフレームは一体となった左右のフレームを合体させ、エンジン、燃料タンクなどを組みこむと一見複雑なシャーシーもしっかり強度が出て組みあがる。その後、シャーシーはグリーンで、エンジンはシルバー系で塗り分ける。

 組みあがったシャーシー



ボディ ホイール
 ボデイは左右で分割されているが、左右の接続部の強度が弱いので、写真のように裏側にプラ板で補強をしておくとよい。 ちなみに実車のエンジンカバーより後ろのつや消しグリーンのボディは、木骨の上にビニールレザーを張った軽量なファブリックボディで、当時は一般的な仕様だった。
ホイールはプラ部品ながら、スポークがよく抜けていて実感たっぷりのものになっている。タイヤもトラックのようなパターンのごつい感じがよく出ている。
 

 ボディの塗装はFinishersのピュアグリーンを吹き付けた。グリーンは吹き重ね回数で濃さが変化するので、タイヤガード、ボンネットなども同時に塗装して、色味を揃えることが重要ポイントだ。
 皮シートは艶消しのグリーンとした。
ボンネットを外すとエンジンが覗けるがメカニック感を存分に味わえる。

完成へ

ボンネットストラップはアクセントになるので、合成皮を細切りにして、自作。車体には虫ピンで止めた。ヘッドランプの金属網は目の細かいシンチュウメッシュで自作している。 このキットはルマン仕様にするには相当改造が必要となるので、デカールも貼らず、固有の車体にするのを避けた、
 完成すると、無骨ではあるが、実に魅力的なvintage car の代表たるベントレーが出現する。




ベントレーその後

 ベントレーモーターズは、1920年代後半は大恐慌で購買層である富裕層も大打撃を受けたため、ベントレーも経営不振に陥り、1931年にロールス・ロイス傘下となり、レース活動からは撤退している。創業者のW.O.Bentleyは1935年にベントレー・モーターズを去っている。W.O.Bentleyはラゴンダを経て、アストンマーチンに移り、DBシリーズの直列6気筒エンジンを設計した。1971年に死去。
W.O.Bentleyが去った後のベントレーはロールスロイスのオーナーカー版として姉妹車となった時代が67年間続いた。オーナーカー用のスポーティーモデルとして、ロールス・ロイスとの差別化が計られた。
1971年、ロールス・ロイス社が倒産し、1973年、ベントレーを含む自動車部門がヴィッカース社に売却された。
1998年、ヴィッカースはロールス・ロイス、ベントレーをドイツのフォルクスワーゲングループに売却した。

ル・マンへの復帰
 さて、フォルクスワーゲン傘下となったベントレーだが、2001年からルマンにカムバックした。2003年、ベントレーは、スピード8(プラットホームはアウディ R8C)で、トム・クリステンセンにより優勝を成し遂げた。

(写真 ベントレー スピード8) (wikipedia より引用)



 現在でもロールスロイスのオーナーカー版として最高級車ブランドとしてのベントレーブランドの位置づけは変わらない。
 
 2002年には イギリスのエリザベス女王即位50周年祝賀記念としてベントレー・ステートリムジンがイギリス自動車業界協会より進呈され、エリザベス女王の公務専用車として使用されている。ベントレーがイギリス王室の私用車として使用されたことはあったが、元首の公務専用車として使用されたのは史上初めてのことである
 ベントレーのブランドイメージを確立したのはモータースポーツでの活躍で、1924年から1930年にかけてのルマン24時間レースでの5回の優勝で、この偉業は不滅のものとなり、現在もベントレーをイギリスの誇り高いブランドとして輝かせ続けている。
 ヨーロッパではM&Aを繰り返しならがも、確立された高級ブランドをしっかりと残すべく、ヨーロッパの自動車業界は今後も発展を続けていくに違いない。

(写真 ベントレー・ステートリムジン)







ビンテージ・ガレージ バックナンバー
1st
シーズン
2014年1月号  第6回 ベンツ 300SLR (レベルモノグラム 1/24) 
2013年12月号 第5回 BENTLEY 4.5L BLOWER (エレール 1/24)
2013年11月号 第4回 ブガッティ 35B(モノグラム 1/24) 
2013年10月号 第3回 BRABHAM F-3 (エレール  1/24) 
2013年9月号  第2回 ROB WALKER Team Lotus 72C (エブロ 1/20)
2013年8月号  第1回 ホンダF1 RA272(タミヤ 1/20)


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Vol.62  2013 December.     www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
                    editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず  リンクフリー

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