Home > マクラーレンM8A 1968(タミヤ 1/18) Mclaren M8A 1968 (TAMIYA 1/18) 車プラモデル製作

誌上個展

マクラーレンM8A 1968(タミヤ 1/18)
Mclaren M8A 1968 (TAMIYA 1/18)

by 田口博通 Hiromichi taguchi

  Vintage garageは創世記から1970年代までのビンテージレースカーとビンテージクラシックカーの連載コーナーです。クラシックな姿の中に優雅さと繊細さを内包した彼女達にしびれる方々も多いはず。 
 ビンテージ・ガレージは ビンテージカープラモデルの製作だけでなく、その独特の魅力を醸し出すビンテージカーが背景に持つエピソードにもスポットをあてています。 
どうぞあわせてお楽しみ下さい。

  2016年11月号から始まるビンテージ・ガレージ 第4シーズンは、国内外メーカーから発売されているビンテージレースカーを主に取り上げます。
 第4シーズンのトップバッターとして今月登場するのは タミヤから2013年10月に待望の再販がなされた 1/18マクラーレンM8A です。カルトグラフ製の大変綺麗なデカールが入っています。
 初版は 1970年にタミヤ 1/18チャレンジャー・シリーズの第3作として、ポルシェ910,ニッサン R-381に続いて発売されたオールドキットです。
しかし、46年経った今も、モールドはしっかりしています。初版リリース時は当時の流行に沿ったモーターライズとして設計されていましたが、再販版ではモーターライズ部は省略されています。もちろん、現行製品として店頭で容易に入手できます。
 


マクラーレンM8A 1968

実車について

 マクラーレンM8Aは アメリカ、カナダで開催されるCanadian-American Challenge Cup 通称CAM・AM(カンナム)の1968年6戦中、優勝3回、2位1回、5位1回という成績をおさめ、1968年の年間チャンピオンとなったレーシングカーである。
 
 CAM・AM(カンナム)は1966年から1986年の間に開催されたレースである。その当初のレギュレーションは、2シーターのレーシングカーであれば、エンジン排気量は2,500cc以上ならば上限なしというなんともアメリカ的なレースだった。
 エンジン排気量無制限というルールが象徴するように技術面の自由度が高く、大排気量マシンの豪快なレース展開が人気を博していた。

 1967から1971年にかけてはマクラーレン勢の独擅場となった。チームオーナーであるブルース・マクラーレンとデニス・ハルムはオレンジイエロー色のマシンで独走劇を重ね、「ブルース・アンド・デニー・ショー」と呼ばれるほどだった。1969年シーズンは2人で実に11戦全勝している。 
歴代チャンピオンとマシンは
1966年 ジョン・サーティース ローラ・T70・シボレー
1967年 ブルース・マクラーレン マクラーレン・M6A・シボレー
1968年 デニス・ハルム マクラーレン・M8A・シボレー
1969年 ブルース・マクラーレン マクラーレン・M8B・シボレー
1970年 デニス・ハルム マクラーレン・M8D・シボレー
1971年 ピーター・レブソン マクラーレン・M8F・シボレー
であった。




 1967年チャンピオンのM6Aは マクラーレン大躍進のきっかけとなったレースカーであり、ホイールベース89インチ、前後トレッドそれぞれ51/52.5インチと非常にコンパクトなマシンだった。レベルモノグラム(ハセガワ)から1/32モデルが発売されている。

(写真) 1/32 マクラーレンM6A(レベルモノグラム)
 
  
 タミヤのモデル化した1968年のチャンピオン車であるM8Aは M6Aの外形をさらにくさび型を強くし 空力的に洗練されたマシンになり、エンジンにはシボレーV8 7リッター(600馬力)を搭載したモンスターマシンになった。

(写真) マクラーレンM8A 実車


 1969年モデルはさらに改良され、可動ウイングをつけたM8Bとなり戦闘力を増した。こちらは アキュレートミニチュアから1/24キットが発売されている。

(写真) マクラーレンM8B 実車

タミヤ 1/18 マクラーレンM8A

キットについて

 白地にオレンジイエローのマクラーレンM8Aが配された洒落たボックスアートになっている。46年ぶりの再販ゆえ、箱絵を懐かしく感じたオールドファンもおられるだろう。 
 M8Aの文字の上のニュージーランドの国鳥キウィはニュージーランド出身者であったブルース・マクラーレンのチームのシンボルである。マシンボディのMcLAREN CARSの文字の上に必ずあったエンブレムだ。
また、1:18とMcLarrenの文字の間にもチェッカーフラグを振るチェッカーマンが配されており、レーシングカーの世界観を盛り上げている。
 右写真はマクラーレンカーズのエンブレムで、キウィ鳥が、ななめに振られるチェッカーの上にデザインされていて、このチェッカーフラグにも実は意味があったことに気付かされる。
(写真)マクラーレンの キウィ鳥
CARエンブレム             ピン

  箱絵



 タミヤのチャレンジャーシリーズのシャーシー構造はほぼ共通で、モーターライズを前提とした設計だったため、初心者にも作りやすいように、シャーシーの足回りは大幅に簡略化され、プラの弾性を利用した板バネ式になっていた。シャーシーの左右のガソリンタンクは電池ボックスとなっている。
 実車構造とは全く違うが、走るオモチャとしてCARプラモデルがあった当時のことゆえ、モーターライズ化は必須条件で、「初心者にも作りやすく」という方向性は一つの見識であろう。
 ボディ部品は、前後カウルが分かれ、開閉できるようになっている。完成後にエンジンやフロント部など車体内部を見ることが出来て、少年心にワクワク感を増していた。
  (写真)後輪足回り (写真)ボディ 前後カウルに分かれている。

製作

(1)ボディ
 カーモデルは、ボディの加工と塗装が最初になる。
モールドラインを消し、各所のヒケを瞬間接着剤をパテ替わりにして丁寧に埋めていく。
サフェーサーを吹いて 2000番までの紙やすりで磨きこむ。その後、発色を良くするために 艶ありホワイトで下塗りの塗装をする。

ホワイトで下塗



(2)ボディの塗装
 MRカラーのオレンジにイエローを少し混ぜて、オレンジイエローを作り、ボディとシャーシー側面を一緒に塗装する。 写真のように、かまぼこ板と段ボール紙で塗装用の馬を作ると、塗装しやすい。

オレンジイエローで塗装



(3)エンジンとシャーシー
 46年前のチャレンジャーシリーズのキットのエンジンはモーターライズ化のために、エンジン内部にモーターを内蔵するようになっていた。それでもエンジン外形はそれらしい雰囲気になっている。
 ちなみにマクラーレンM8Aの実車はシボレーV8を搭載している。

シャーシー内部はアルミ色。フロントサスペンションは左右に舵がきれるような構造になっている。 リアサスペンションの板バネ部品を差し込んで 完成したエンジンをシャーシーに接着し、排気管パーツを接着すれば それでシャーシーは完成となる。非常に簡単だ。
 昭和のプラモデルなので モーターライズ化のため、床下のスイッチまで配線をひきだす必要があったのか、コクピットとエンジン間のバルクヘッドが省略されているので、奇妙な感じがする。
 しかし、各部には細かいメッキ部品もいくつか配され、シャーシー全体のメカニックな雰囲気を出そうとした設計者の意図が感じられる。  
塗装前のエンジン

完成したシャーシーとサスペンション メカニックな雰囲気が増してきた。



(4)デカール
 再販版のデカールはカルトグラフ製の極めて高品質なもので、発色が素晴らしい。 記録写真と箱絵を参考にデカールを貼り、充分に乾燥したら、クリアーを吹いておく。




(5)コクピット  
 シンプルなもので、メーターはデカールとなっている。シートは半艶黒で塗装。シートベルトはつけていないが、1960年代のシートベルトのデザインはどんなものだったのだろうか。  エンジンの長いキャブレターを取り付け、先端の丸いネットはキットの部品にゴールドをドライブラシしたもの。タイヤとホイールも雰囲気の良いもので、シャーシーにタイヤを組み込めば 下回りは完了だ。


完成

 ウインドシールドは接着面をオレンジに塗っておく。取り付けは、手芸用ボンドを使えば汚すことがない。  1/18モデルは 結構 大きく ボリュームが感じられるのが特色だ。その中にメカニックな雰囲気が詰まっているように感じられるのが、このタミヤのチャレンジャーシリーズ全体の持ち味だと思う。この雰囲気が素晴らしい。






マクラーレン M8 その後

 マクラーレンM8シリーズは さらに改良され続け、1969年は可動ウイングをつけたM8B、
1970年はM8D,1971年はM8Fとなり
1971年までCAN・AMカップのチャンピオンを独占し、マクラーレンの黄金期となった。
 しかし 好事魔多し、チームオーナー兼ドライバーのブルース・マクラーレンが1970年のテスト中事故死するという不運に見舞われている。

 1972年にはポルシェがCAN・AMに本格参戦する。マクラーレンのシボレーV8(7リッター600馬力〜8.5リッター900馬力)に対し、ポルシェのターボチャージャー 5リッター水平対向12気筒エンジンはなんと1,100馬力のモンスターパワーを発揮し、ポルシェが1972年と1973年のCAN・AMシーズンを席巻した。
このため、マクラーレンはワークス活動休止に追いやられてしまう。
このポルシェも1974年シーズンは、FIAが燃費規制を導入する方針を示したことで意欲を失い、ワークス活動から撤退することになる。

 マクラーレンとポルシェが去った1974年は 人気を失い、またオイルショックの余波で年間5戦しか行われず、1975年は遂にCAN・AMシリーズ自体が休止に追いこまれた。





 さて、エンジン排気量無制限というルールが象徴するように技術面の自由度が高く、大排気量マシンの豪快なレース展開が人気を博したCAN・AMは日本にも影響を与えた。

 まず、本場のCAN・AMには、日本人ドライバーでは鮒子田寛がスポット参戦。風戸裕は1971年に本格参戦し、年間ランキング10位の成績を収めている。

 1960年代後半、日本国内のスポーツカーレースでは 日本グランプリを舞台にトヨタ(トヨタ7)と日産(R382, 1969年優勝)の開発競争が過熱していた。エンジンの大排気量化開発に伴い、その成果を試そうとグループ7規定のCAN・AMシリーズ参戦計画が浮上する。  
 そして、1968年と1969年にはNAC(日本オートクラブ)主催により、富士スピードウェイで非選手権の「ワールドチャレンジカップ・富士200マイルレース」(通称:日本CAN・AM)が開催されたのである。

 本場CAN・AMシリーズのドライバーが来日し、1968年はマクラーレンM6Bに乗るピーター・レブソンが優勝している。日本勢はトヨタ7(3リッター)の福沢幸雄の4位(7周遅れ)が最高位だった。
 翌1969年のレースではトヨタ7(5リッター)に乗る川合稔が優勝している。

 その後もトヨタは本場のCAN・AMシリーズ参戦を目指してトヨタ7ターボを開発した。しかし、1970年8月に川合がテスト中事故死し計画は幻に終わった。
 また、ライバルの日産もR383を開発したが、同様に参戦をとりやめたといわれる。




  実は 同じ1970年、日産が「公害・安全問題の解決に注力する」として日本グランプリ不参加を表明し、トヨタもそれに追随したため、スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎えていた。
 時代は1970年代に入り、日産、トヨタ、ホンダとも、レースにおける大排気量エンジンの技術開発から次々に撤退していったのである。
 そして 市販車エンジンの排気ガス規制対策、燃費向上に技術開発の軸足を移すことになる。
 
 現在から見れば、それが極めて正しい選択だったことが良くわかる。

 1970年代に入り、排気ガスによるスモッグ公害、健康被害がクローズアップされてきた。
 現在はかなり都市の空気も綺麗になったとはいえ、1970年代の排気ガスによる都市スモッグは特にひどかったことを覚えている人も多いだろう。
 つい最近もテレビで中国北京で車が増えすぎたことによる排気ガスによるスモッグやPM2.5が報道されているが、1970年代当時は有鉛ガソリンだったこともあり、日本の大都市の状況はそんな生易しいものではなかったのだ。
 日本で有鉛ガソリンが廃止された直接の原因となったのが、1970年5月、東京都新宿区の牛込柳町交差点で発覚した「牛込柳町鉛中毒事件」である。政府は、自動車排気ガス中に含まれる鉛に対策を求められる事となり、経過措置を経ながらガソリンを完全無鉛化することに決定した。
 やっと1972年4月1日から製造された国産ガソリンエンジン搭載車は全て無鉛ガソリン仕様車に切り替えられたのである。
 そして、1973年10月6日、第4次中東戦争が勃発。これによる石油の供給危機が起き、石油価格が高騰し、先進各国は不況とインフレの同時進行で大打撃を受けた。いわゆるオイルショックである。
 ガソリンスタンドは日曜休業となった。また、モータリゼーションの進展により自動車の燃料消費が石油消費に高比率を占めていたことから、鉄道を始めとする公共交通機関を再評価する動き(モーダルシフト)が出た。
 
 自動車メーカーも更に燃費向上の技術に取り組 まざるを得なくなったのであるが、それが 日本車の小型化、低燃費化技術力を高め、輸出促進への大きな力となったことは間違いない。
 
 車をとりまく環境は ノーテンキに大排気量エンジンで大馬力を競う時代から、公害環境と安全を優先する時代へと着実に移行していったのである。 


ビンテージ・ガレージ バックナンバー
3rd
シーズン
2016年2月号 第18回 ポルシェ356Aスピードスター (トミー 1/32)
PORSCHE 356A SPEEDSTER(TOMY 1/32)
2016年1月号 第17回 ブガッティT55スーパースポーツ(バンダイ 1/20)  
Bugatti model 1932 type 55 Super Sport (Bandai 1/20)
2015年12月号 第16回 フェラーリ 250 テスタロッサ(ハセガワ 1/24)
Ferrari 250 Testa Rossa (Hasegawa 1/24)
2015年10月号 第15回 シトロエン DS19 (エブロ 1/24)
CITROEN DS19 (EBBRO 1/24)
 
2015年9月号 第14回 フォルクスワーゲン カルマン・ギア 1963年型 (GCIクレオス 1/24)
 Volkswagen Karmann Ghia 1963
2015年8月号 第13回 メルセデス ベンツ 300SL (タミヤ 1/24)
Mercedes Benz 300SL (Tamiya 1/24)

2nd
シーズン
2014年12月号 第12回 オースチン ヒーレー 100-6 (レベル1/25)
AUSTIN HEALEY 100-SIX (Revell 1/25)
2014年11月号 第11回 リンカーン・フューチュラ(レベル1/25) 
LINCOLN Futura (Revell 1/25)
2014年10月号 第10回 メルセデス・ベンツ540K(モノグラム1/24)
MERCEDES-BENZ540K (Monogram 1/24)
2014年9月号 第9回 デユーセンバーグ・モデルSJ(モノグラム1/24) 
DUESENBERG SJ (Monogram 1/24) 
2014年8月号 第8回 ド・ディオン・ブートン (1904年型)(ユニオン 1/16)
DE DION BOUTON 1904 (UNION 1/16 )
2014年7月号 第7回 アルファロメオ2300 トゥーリング(1932)(ブラーゴメタルキット 1/18)
ALFA ROMEO 2300 TOURING(Burago Metal Kit 1/18)
1st
シーズン
2014年1月号  第6回 ベンツ 300SLR (レベルモノグラム 1/24) 
2013年12月号 第5回 BENTLEY 4.5L BLOWER (エレール 1/24)
2013年11月号 第4回 ブガッティ 35B(モノグラム 1/24) 
2013年10月号 第3回 BRABHAM F-3 (エレール  1/24) 
2013年9月号  第2回 ROB WALKER Team Lotus 72C (エブロ 1/20)
2013年8月号  第1回 ホンダF1 RA272(タミヤ 1/20)


  Home>マクラーレンM8A 1968(タミヤ 1/18) Mclaren M8A 1968 (TAMIYA 1/18) 車プラモデル製作

Vol.99 2016 November.   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /  
           editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず  リンクフリー

「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」



Vintage garage

製作記事


TOTAL PAGE